Reports( 2003/03/27 現在 )ピースボート世界一周乗船記 by "酔ったマン"さん


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ピースボート・世界一周レポート by "酔ったマン"さん

一言では言えないご縁で、知己を得た
"酔ったマン"さんのピースボート世界一周のレポートです。



地球一周航海90日(1999.10.18〜2000.1.15)
名前のせいではないが、生来船と海が大好きで、ヨットをはじめ神戸商船大の実習船、海上保安庁の巡視船、内航客船、フェリー、貨物船、タンカー等、軍艦以外のいろいろな船に乗ったが、初めて外航客船で海外へ出たのは70年であった。丁度ジャンボジェットが飛び始めた頃で、まだ交通手段としての国際定期船が辛うじて残っていた時代で、日本〜豪州航路のオランダ船で、神戸から基隆、高雄を経て香港まで行った。以来、日本、中国、英国、フランス、その他の国々の客船に乗ったが、何れの場合も長くてせいぜい半月程度の航海で、でき得れば地球を一周りしたいと思っていたが、いわゆる豪華客船による世界一周は、しがない年金生活者にとって、所詮高嶺の花と半ば諦めていた。

ところがたまたま見つけた旧ソ連、現ウクライナ船籍の船なら、何とか手が届きそうだったので、早速高校時代の友人と申し込んだ。

これは約1万5千頓、船齢23年のボロ船で、本来、黒海辺りの短中距離フェリーとして建造されたものでキャビンは狭く、設備や食事の質も豪華客船と比べるとシティホテルと場末のビジネスホテル位の違いがあり、このような長期航海に適した船とは言い難く、のんびり優雅に過ごす船旅の醍醐味を味わうにはほど遠かったが、なにしろ豪華客船の最低ランクのほぼ三分の一の料金なので、多少のことは我慢せざるを得なかった。

今航海は西回りで、マラッカ海峡〜インド洋〜紅海〜スエズ運河〜地中海〜ジブラルタル海峡〜大西洋〜カリブ海〜パナマ運河を通り、17ク国の港を訪れた。寄港地の中には治安が悪く、日本人があまり行かない国もあったが、それぞれ気候、風俗、習慣、政治、経済、社会情勢のほんの一端を駆け足ながらも見聞できたことは、それなりに有意義だったのと、大まかに云えばジェット機が1時間で飛ぶ距離を、船では丸1日かかるので、地球の大きさを体感できた事。そして当然ながら平和でなければこのような旅はできないという事をつくづく感じた次第である。

航程および寄港地雑感

10/18正午 東京(晴海) 出港
10/22 香港(中国) 最初に乗ったオランダ船で知り合った中国の友人と四半世紀ぶりに再会。彼の話では、中国返還前後で生活面はあまり変化がないとの事。25年ぶりの香港の街は相変わらず活気に満ち、新しいビルが沢山建っていた。オーシャンターミナルの屋上看板は以前は日本企業のものが多かったが、今回は外国のものぱかりだった。
10/24 ダナン(ベトナム) ベトナム戦争時、米軍の最前線基地があったダナン、朱印船の寄港地で日本人町があった古都ホイアンを訪ねるが、表面的には戦争の傷跡はあまり見あたらない。
発展途上国では、子供達が外国人旅行者に金をねだる所が多いが、ここでは皆が筆記具を欲しがったのと、日本で最近あまり見かけなくなった、瞳の輝きが印象に残る。
10/27 シンガポール この国も四半世紀ぶりの訪問。ここも香港同様新しいビル、橋や道路ができ、大分変わった所もあるが、厳しい罰則のため、街中が非常に清潔な点は昔と同じだった。Mt.フェーバー、チャイナタウン、リトルインディア、アラブ人街を訪れる。
11/1 コロンボ
(スリランカ、旧セイロン)
東部の古都キャンディにある、釈迦の歯を祀った仏歯寺を見学。北部の内戦やテロの影響で、自動小銃を持った警備兵の姿が目立つ。
コロンボのホテルで船へ帰るバスを待っていた時、「大阪駅行特急」と表示のある大型観光バスが来たので、皆大笑いする。塗り替える金がないのか、日本製を誇示するためそのままにしているのか分からないが、街中でも日本語表示のままの中古車を沢山見かけた。
11/8 マッサワ
(エリトリア、東アフリカ)
旧イタリア植民地、8年ほど前エチオピアと戦い独立。訪問時にも国境紛争が続いていたため、治安は余り良くない。独立戦争で活躍した戦車が飾られている殉教者記念広場、同じ戦争で破壊された元エチオピア皇帝別荘跡等を見学。今回の寄港地の中で最貧国。
11/11 スエズ運河通過 紅海と地中海を結ぶ全長約160q、最大幅約300m、水深約20mの運河で、軍艦、客船、貨物船の順に船団を組み、途中のビター湖ですれ違う。西岸はナイル河のお陰で緑多く、東のシナイ半島側は不毛の砂漠が延々と続く。
11/11〜12 ポートサイド(エジプト) 先年、ルクソールで観光客に対する乱射事件があったため、観光バス数台の前後にパトカーがつき、カイロまでふっとばす。カイロでエジプト考古学博物館見学後、ギザにむかいピラミッド群とスフィンクスを見る。ラクダに乗った警官、物売りが多い。テレビ等で見るのと違い、その大きさに圧倒される。正に百聞は一見に如かず。
11/13〜14 ハイファ(イスラエル) 港外にヘリ空母が停泊中。軍艦はいつ見ても不気味。いよいよ流血の地に足を踏み入れるかと少々緊張する。
ナザレを経てキリスト生誕の地ベツレヘムで一泊。翌朝エルサレムのユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、そのすぐ上にあるイスラム教の聖地「岩のドーム」を見学。
ごく狭い地域にキリストが葬られている「聖墳墓教会」と三つの聖地が集まっているので、互いに領有権を主張すれば紛争が起きて当然だ。
パレスチナ人地区との境界に検間所があり、自動小銃を持ったイスラエル兵が屯する。
エリコで昼食後、死海へ向かう。この湖は海面下約400m、地球上で最も低い水面で、塩分濃度が30数%もあるので生物は全く住めず、泳げなくても自然に身体が浮くが、目に入れば非常に痛いので、顔を水につけられない。また塩や、湖底から採れる泥が美容に良いとかで、最近目本へも輸出されているそうだ。
11/16 ピレウス(ギリシャ) アテネの外港、エ一ゲ海クルーズの起点だけあって、クルーズ船が沢山停泊しているが大半が古いもので、新しい大型船はあまり見かけなかった。
アクロポリスの丘に登り、パルテノン神殿等の遺跡を見学。アテネ市街を一望でき最高の眺め。ローマほど多くはないが、街中に遺跡が散見される。オリンピックスタディアムに寄り、土産物店街を散策後帰船。
11/18 ドブロブニク
(クロアチア、旧ユーゴースラビア)
ここまで来ればヨーロッパの香りがする。新・旧市街とも先年まで内戦があったとは信じられないこじんまりした美しい所だ。中世の城郭都市は周りが城壁に囲まれ、城門を入ると大通りがあり、その両側に石造の教会や商店が並び、10分も歩けば街を通り抜け、反対側の船着き場に出る。数十隻の小型艇がもやっているが、ヨットは1,2隻しか見あたらない。狭い横町に入るとレストランや土産物店が軒を連ね、ゆっくり散策したかったが、折悪しく雷鳴とともに激しい雨が降り出しぴしょぬれになり寒い。できれば夏にもう一度来たいと思った。
11/20〜21 チベタベッキア(イタリア) ローマヘ1時間ほどの港町だが、7年前ヨーロッパ周遊時に立ち寄ったので、今回はバスで高速道路を走りナポリヘ行く。ローマはスリ、置き引き、かっぱらい等の犯罪が多いが、そのローマ人が「ナポリ人を見たら泥棒と思え」と云うほど治安が悪いので、イスラエルとは違った意味で緊張する。ナポリで一泊。翌朝ポンペイに向かう。途中バスの車窓からカプリ島を遠望するが、今回は残念ながら時間が無くて行けない。
ポンペイ遺跡は約2千年前、ベスビオ火山の噴火のため一夜で埋没した古都だが、遠い昔にこのような高度に発達した文明が存在したのは驚くべき事だ。冨豪の屋敷、浴場、パン屋、居酒屋、娼家、市場の跡等を見るがあまりに広くて1日では周りきれない。
帰途「ナポリを見て死ね」と言われる高台から海を望むが、天候が良くなかったせいか、それほど絶景とも思えなかった。
11/24 ジブラルタル海峡通過 地中海西端と大西洋をつなぐ要衝で、最大幅約14km、ヨーロッパ側には今も英軍の基地がある。通過時、南側にアフリカ大陸、北側にヨーロッパ大陸を同時に見る事ができる。
11/26〜27 ラスパルマス
(グランカナリヤ島、
スペイン領カナリヤ諸島)
ここには嘗て我が国のマグロ漁船の基地があったが、現在は西アフリカ沖でとれるタコの日本への輸出港として有名である。
小さな島の街なのであまり期待していなかったが、大きな百貨店、立派なホテル、日本料理店もあり、久しぶりに同本酒で刺身や寿司に舌鼓をうつ。物価は総じて日本より2割程安いようだ。
白人は寒さに強いのか、外気温が20度前後なのに、海水浴場で大勢の人が泳いだり、裸で目光浴をしているのに驚く。
またここには大西洋横断のヨットが中継点としてよく利用する、日本のとは比較にならない大規模なヨットハーバーがあり、林立する無数のマストは壮観だった。
12/6〜7 ハバナ(キューバ) 文豪ヘミングウェーゆかりのコヒマル村の彼行きつけのバー、現在博物館になっている彼の邸宅や愛艇、葉巻工場、スペイン植民地時代に建てられたモロ要塞を見学後、オールドハバナ地区を散策。夕食後有名なキャバレー「トロピカーナ」でショーを見て帰船。翌日は革命広場、革命博物館を見学。
ハバナは新・旧市街に分かれ、新市街は立派な道路や高層ビルも建ち、よく整備されているが、旧市街は道幅の狭い所も多く古い建物が目立つ。米国の禁輸政策のため、50年代の古いアメリカの大型車が沢山走っているが、街中あちこちのレストランからは陽気なキューバ音楽が聞こえ、気候が温暖なせいもあるが、想像していたのと全く違う雰囲気だった。ゆっくり再訪したい国の一つ。
12/10 パナマ運河通過 早朝5時に大西洋側の入り口、クリストバル泊地に投錨。運河側の都合で昼過ぎまで待たされ、13:15運河に入り、9時間かかって太平洋側のバルボアに抜け、給油、給水のため朝まで停泊するが上陸できず。
この運河は高低差のないスエズと異なり、船は3つの閘門を通り、約26m上の淡水人造湖まで持ち上げられ、湖を航行した後、また3つの閘門を通り、海面と同じ高さまで降ろされる。全長約93q、閘門の幅33.53m。
なお、運河の運営権は、我々の通過3週間後の12月31日、米国からパナマに返還された。
12/13〜14 アカフトラ(エルサルパトル) この国では数年前まで少数の支配階級側の政府軍と解放戦湶が内戦を繰り広げていたせいか、現在でもあまり治安は良くなく、首都サンサルバドル観光中も、自動小銃を持った2〜3名の警官が、我々の周りで護衛するような状態だった。都心には植民地時代に建てられた立派なカテドラルや国立劇場等もあり、また最近建てられた大きなホテルやショッピングセンターもあるが、途中の車窓からの町や村の様子とは大分差があるように感じた。
ここで最も驚いたのは、昼食をとったホテルの豪華さ、味やサービスの良さだ。これは世界中のどこのホテルにも負けないほど優れたものだったが、利用できる国民はほとんどいないのではないかと、少々複雑な思いをした。
翌日は風邪気味のため上陸せず、船内で静養。
12/16 アカプルコ(メキシコ) 当地は風光明媚で有名な観光地である。しかし最も貧しい国は今回訪間した中ではエリトリアだが、これほど貧富の差が激しい所は他になかったように思う。
ここには世界最高級のホテルや、庶民は泊まる事もできない豪華なラブホテル等がある一方、外航客船ターミナルのフェンスの外の歩道には、赤ん坊を抱いた女性の乞食が何人もいて観光客に金をねだり、日が落ちると船の甲板から見える公園では無数のカップルが蚊に刺されるのもいとわず、組んずほぐれつの痴態を繰り広げ、目のやり場に困るような光景だった。
12/25 漂流中の船外機付きボートを発見、
救助
朝6時頃、男性3人の乗った漂流中の船外機付きポートを発見、直ちに停船し、本船の救命ポートを下ろし救助。アーティカ島の人々で、ドラム缶入りの燃料を積んで他の島へ行く途中燃料が切れ、何日か漂流していたらしい。あまり船の通る海域ではないので、クリスマスとはいえ本当に幸運だった。
長い間いろんな船に乗ってきたが、こんな場面に出会ったのは初めてだ。
12/26〜27 パペーテ(タヒチ島、仏領ポリネシア) 2年前、タヒチ本島、モーレア島、世界中で一番美しい海の一つ、ボラボラ島へ行ったので、今回は港の周辺を散策し買い物をしただけ。
客船の着く岸壁の隣にヨットハーバーがあり、地元のチャーター用大型カタマランや、いろいろな国からやって来たヨットが沢山停泊していた。
夜波止場の駐車場に中華料理やステーキのトラック屋台村が出るので、船の食事もいささか食傷気味だったので出かけるが、量の多さと酒類販売免許がないためかビールが飲めないのには閉口した。
この島では生鮮食料品以外はほとんどが輸入品なので、物価は日本と変わらず、他の国に比べると非常に高い。
12/31〜1/1 ニューイヤーカウントダウンパーティ 目付変更線上で停船、花火を上げ2000年の元日を迎える。本船側の説明によれば、午前0時丁度、船体中央部から前は元日、後ろは大晦日との事。
朝トンガ王国最北端の島を遠望。
1/3〜4 ラウトカ(ビチレブ島、フィジー) 港に茶色の大きな山があるので聞くと、砂糖黍の絞りかすで、製紙原料として王子製紙の船が定期的に積み取りに来るそうだ。また前後に切断された自動車が沢山あったが、完成車の関税が高いのでわざと切断し、スクラップとして輸入後、溶接して売るらしいが、強度に問題はないのか気になった。
入港後、観光用の大型帆船でビーチコマー島ヘクルージング。この島は歩いて一周15分ほどの小島で、全島がホテルの所有。一番大きな建物にはレセプション、バー、レストラン、売店等があり、客室は島の周囲の海岸にバンガロー風の小屋が点在している。不思議だったのは気温が30度以上もあるのに、裸足で砂浜を歩いても全然熱くなかった事だ。砂の成分が日本とは違うのかもしれない。
翌日は買い物と日本料理店で昼食をとるため、国際空港があるナンディの町へ出かけるが市場、商店、土産物店以外見るぺきものはなかった。
1/10 べ一カードック
(モエン島、
チューク「春島,旧トラック諸島」)
太平洋戦争中、夏島には旧日本帝国海軍連合艦隊の基地があり、多数の艦船が沈んでいるので、現在はダイビングスポットになっている。入港時、左舷側に錆び付いた沈船らしきものが見えた。
港の周辺にはスーパーマーケットや果物を売る屋台がある程度で、あまり見るべきものがないのでタクシーで島の南端のホテルヘ行く。宿泊客は米人のダイバーが多いようだ。近くの日本人経営の食堂で昼食をとり、またタクシーで帰船。
出航後直ぐ、左舷の島々の陰に日が沈み、何とも云えない美しさだった。
1/14 嬬婦岩、鳥島通過 嬬婦岩は海面から100m近く突き出ており、女性が佇んでいるように見えるので、この名がつけられ、船員やヨットマンにはよく知られている。鳥島はご存知のように信天翁の繁殖地で名高い。
1/15 東京(晴海)帰港 浦賀水道に入り、久里浜沖、太平洋戦争で軍人より高率の犠牲者をだした戦没船員の慰霊碑の建つ観音崎を経て、正午、東京港、晴海埠頭着岸。
つい4,5日前まで熱帯にいたので寒くて震え上がった。
全航程27,562海里(51,045q)

船旅のお薦め
船旅の良い点は飛行機と違い、目的地までの旅の過程を楽しめる事。速度が遅いので時差ボケせず、ロングフライト症候群とも無縁な事。荷物の重量制限がないので、土産が多くなっても気にならない事(ただし片道飛行機に乗ればだめ)。寄港地では大きな荷物を持ち歩く必要が無く、身軽に観光できる事。お酒が好きな方にとって、外国航路では船内は免税で、何ヶ所かあるバーはそれぞれ営業時間をずらしているので、終電車を気にすることなく、ゆっくり楽しめる事等です。

一方最大の心配は船酔いですが、最近のクルーズ船は大抵横揺れ防止装置を備えており、縦揺れは大型船の方がより少ないので、よほどの悪天候でない限り大丈夫です。

次に服装ですが、男性の場合タキシードを用意しなくても、ダークスーツとカジュアルなものがあれぱ十分です。女性の場合も同様、イブニングドレスを用意しなくても、フォーマルなものとカジュアルなもの、外国船であれば和服もよいでしょう。

最後に頭を悩ませるのはチップですが、大体の目安は本船側か旅行社から示されるのでそれに従えはよく、またノーチップ制の船も沢山あります。

最近のクルーズ船の料金は、船室の位置、広さで定められており、昔と違って食事の差や、パブリックスペースの等級による利用制限は一切なく、自分の好みに合った部屋を選べるので、寝るだけであれぼ一番安い船室で十分です。ただし予約時に一番揺れの少ない船体中央部を指定する方が良いでしょう。どんな旅でもそうですが、楽しく過ごすため、特に長期の航海では生活習慣があまりに異なる人とは、例え友人でも相部屋は避けるべきです。

料金に含まれるものは夜食を含め四度の食事、三度のティータイムのコーヒー等ソフトドリンク、毎日行われるいろいろな催し物の参加料等です。

一方含まれないものは原則として、アルコール飲料、クリーニング代、美・理容料、船外への電話料、チップ、船医の診察・治療費、寄港地での観光費用等です。

船内では毎日映画をはじめ、ショー、リサイタル、コンサート、ダンスパーティ、カジノ(日本船ではお金を賭ける事はできない)、カラオケ、囲碁、将棋、麻雀等、趣味の集いやいろいろな講座、水泳、ゴルフ、デッキスポーツ、入港前の寄港地説明会等が開かれていますが、万一気に入った催し物がない時には、図書室で読書するなり、デッキで海を眺めたり、まどろむもよし。非目常的で素敵な時間を自由に過ごす事ができ、決して退屈している閑はないでしょう。

船旅の唯一の欠点。それは「下船するのが嫌になる事」である。

時間がとれればぜひ一度外航クルーズ船で楽しい船旅を。
Bon Voyage!


・シップデータ

総トン数 15,791
船長 156.27 m
船幅 22 m
喫水 6 m
速力 16.5 knots( 22 max)
製造年 1976
最終改装 1998
客室数 234
乗客数 760(max)
クルー 220


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