1.横浜港〜シンガポール洋上 2.シンガポール〜サラーラ 3.アデン〜スエズ運河 4.アレキサンドリア〜ナポリ 5.マラガ〜サザンプトン 6.ルーアン〜コペンハーゲン 7.サンクトペテルブルグ〜ソグネフィヨルド 8.フロム〜ニューヨーク 9.コズメル〜パナマ 10.アカプルコ〜ホノルル

tamuraロゴマーク TAMURA.Mが航く
2002年飛鳥ワールドクルーズ乗船記!

NO.10
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  アカプルコ(メキシコ) 6月26日 
    


     


       


      


        


   


   


   


   
   コスタリカ・ニカラグァ・ホンジュラス・サルバドル・グアテマラを右舷に眺めながら6月26日正午メキシコのアカプルコ港に入港。同日深夜に出港。

   

  
  サンフランシスコ(アメリカ) 7月1日
    


     


     


     


      


   


   


   


   


   


    


  


   


    
   
   “飛鳥”2002年世界一周クルーズでサンフランシスコに到着したのは、横浜を出港して丁度88日目の7月1日(月)でした。この日の朝はサンフランシスコでは稀にみる快晴で、本船がゴールデンゲートブリッジに向って航行していると、日の出がその橋の下から昇ってきました。

  「サンフランシスコのチャイナ・タウン」という歌は、昭和25年頃の歌だったと思います。


     佐伯孝夫作詞、佐々木俊一作曲、渡辺はま子唄。

  ♪サンフランシスコのチャイナタウン 夜霧に濡れて 夢紅く誰を待つ
  柳の小窓 泣いている泣いている おぼろな瞳 花やさし霧の街
  チャイナタウンの恋の夜♪


  サンフランシスコを訪れた方は多分このチャイナタウンに行かれたことでしょう。色々多くの名所がある中でチャイナ・タウンへの入口「典礼門」は有名です。屋根に恐ろしい2匹の龍がいます。屋根の瓦は緑色です。この街に住む中国系アメリカ人の人数は8万人を超え、サンフランシスコの全人口のおよそ10%に相当します。チャイナタウンに足を踏み入れると,
中国本土の町と同様に強烈な色彩の赤、緑、オレンジ、黄色の旗や看板やパゴダの屋根が、象牙、翡翠、七宝、チーク材や竹製の小物や宝物、肉や薬草、茶などの他食品がところ狭しと並んだ商店があふれかえっています。まさに、上海・北京と同じですが、どこかアメリカナイズされています。道路や建物がやや異なるからでしょう。

  合衆国最大の仏教寺院「ブッダス・ユニバーサル・チャーチ」、1854年に南米大陸の先端ホーン岬を経由して、船で運ばれてきたレンガで造られたローマンカトリックの聖母マリヤ教会があります。歴史をみると、1850年には既に主に広東出身の中国人がここで生活していたとあります。その後、数十年の間に鉱山、大陸横断鉄道の建設現場で働く中国人がやってきて、人口は徐々に増加して行ったのです。最近の20年の間にはベトナムからの大量移民を含む新しい移住者を常に吸収しながらチャイナ・タウンは繁栄を続けています。”

   

 
  ホノルル(アメリカ) 7月6日〜7月7日
    


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


   


    
  
“ 2002年7月1日夜サンフランシスコを出港。”

   “ 7月6日朝にはハワイ諸島のハワイ島・マウイ島・カホアラビ島・ラナイ島・モロカイ島を巡り、オアフ島のホノルル港に午後3時に入港しました。ハワイではオアフ島一周の観光コースを満喫しました。ダイヤモンドヘッドの火口にも登りました。ワイキキビーチでダイヤモンドヘッドを背景にパノラマ写真を記念に撮影。ホノルル港では隣りのバースに“にっぽん丸”が着岸しておりました。

    アロハタワーの客船バースには巨大な“ノルウエージヤン・スター”が停泊。7月7日午後5時にホノルルを出港。丁度その時に雷雨が来襲しました。”

   ホノルルのチャイナタウンには孫文の銅像があります。




   “ 7月12日日付変更線を越えて7月15日横浜港に帰って来ました。
    (従って7月12日は消滅して7月11日から7月13日にとびました)

   時差がこれで無くなりました。

   横浜入港の7月15日は丁度台風が来襲した為、相模湾の熱海沖に停泊しましたが、太平洋・大西洋での大波ほどには揺れませんでした。横浜港は午後1時までクローズされていました。東風が吹いていたので、横須賀あたりから霊峰富士山がその勇姿を裾野から頂上まで現し、帰国を歓迎していました。

    午後2時には新しい客船バースに接岸しました。乗客の大多数の家族の方々が大勢出向えにきておられました。私の息子も孫を連れて来ており手を振っていました。”

                                 −完−
   
   

    
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